HIPHOPの聖地としてシーンを盛り上げ続けてきたクラブと聞いて、真っ先に名前が上がるのはやはり渋谷のHARLEM(ハーレム)しかないだろう。
昨年4月のコロナ禍において、主宰レーベル「HALEM RECORDINGS(ハーレム レコーディングス)」を再始動させ、「Do It feat. ¥ellow Bucks & Zeebra」をリリース。そして、この2021年6月には第2弾シングルとして「Choose Life feat. SIMON, week dudus & Young Dalu」をリリースし話題を呼んでいる。
そこで、この再始動プロジェクトのプロデューサーであり、現在もHARLEMのレジデントDJとしてフロアを盛り上げているDJ HazimeとDJ Watarai、さらには第2弾シングルに参加しているSIMONも交えて、いろいろとスペシャルな話を聞いてきた!
レーベル再始動の狙いとは
DJ Hazime(以下H):「実は2019年の暮れくらいにはもうHARLEM RECORDINGSをもう1回動かし出そうっていう案があって、すぐにコトが運んで曲もできてたんです。けど、ちょうどそのころに例のウイルスが飛んできちゃったんで、リリースを4月22日まで延期したんですよ」
第1弾のリリースはまさに最初の緊急事態宣言の真っ只中である2020年の春。
はたから見ていると、ライブやフェスができない状況を見越してのレーベル再始動だったのかと思えたが、それはもっと純粋な理由からだったようだ。
H:「HARLEM自体をもう一回ちゃんとブランディングしたかったんですよ。日本のHIPHOPを代表するクラブなんだってね。そういう軸をちゃんと持たせるためにも音源をリリースしていきたかった」
DJ Watarai(以下W):「そうですね。そういう話になって、すぐにやろうって感じで進んでいたんです」
H:「だからウイルスも来てなくて当初の予定だったら、実はもう4枚くらいリリースしている予定だったからね」
目指したのは、あえて言わせてもらうなら「HARLEMの復権」だったのだ。
そして第1弾シングルのゲストとして白羽の矢が立ったのはZEEBRAと¥ELLOW BUCKSという倍くらいの年の差がある2MCだった。
H:「ベテラン同士じゃ面白くないし、若手同士でもつまらないじゃないですか。我々しかやらないような人選でやりたいっていうのがまずありましたね。ジブさんっていう業界の先輩、いわゆるOG(※注1)と、これからのスターである¥ELLOW BUCKSの2人でやれば面白くなるんじゃないかなと」
そして、その考え方と同じように第2弾アーティストとして選ばれたのが、この春に約4年ぶりの新作EPを発表したSIMONと、新世代を代表するラッパーと言われるweek dudus、そしてソロアーティストとしてのキャリアも積み始めたYoung Daluの3人だ。
H:「SIMONは僕にとっては後輩だけど業界的にはOGに片足突っ込む年齢になってきてるし、そこに若い2人が加わることでいろんな世代をカバーできるんじゃないかなって。若手も目の届く範囲だけどちゃんとチェックしてるからね」
W:「いま若手ってめちゃくちゃいますよね。ただ僕はUMB(※注2)のバトルビートもやってるので、バトル系の若い子をよく現場で見れるのは助かっています」
SIMON(以下S):「僕は今年ちょうど自分自身の活動も再開して、そのタイミングでHazimeさんからお話いただいたんです。実はWataraiさんのビートにも乗ったことなかったので、光栄という一言に尽きました」
OGに片足突っ込む年齢と評されたSIMONにとって、初めて仕事をする若手2人の印象はどうだったのだろうか。
S:「レコーディングでいうとフィジカルが柔軟ですよね。僕らの時代にはリリック書いてこない先輩もいたし(笑)、そういうところから学んで、ちゃんとリリック書いていって、でもスタジオに入ってから6時間も7時間も、あーでもないこーでもないって悩んだ末にバースが生まれていく。そういう世代なんですよね。あとは一緒にやる相手の地元まで行ったりもして。ANARCHYくんとやったときは彼が生まれた団地の方まで行って、ANARCHYくんも俺の地元の池袋に遊びにきてくれたり。そうやってお互いの人となりを知ってから一緒に曲をやるっていうのが僕らの世代っぽいやり方なんです。でも、今の子たちはレコーディングも遠隔でやって、録音したバースを送りあったりしてるみたいだし。どっちがいいとか悪いとかって話じゃなくてね」
とはいえ今回はみんなで集まってレコーディングに臨んだようだが、そこでさらに新鮮だったのは若手2人のレコーディングの速さだという。
S:「2人に関しては、自分の納得いくテイクをポンと決められるのがアグレッシブだなと。僕らはたくさん録りたくなっちゃうんですけど、結局1、2テイク目がカッコよかったりするんですよ(笑)。何回録ったとしても迷い込んでいっちゃうし、答えを出すのが若い子たちは速いんですよね。これはHazimeさんも言ってたんですけど、ちっちゃい頃からヒップホップ聴いてるから、たぶんその辺の感覚が体に勝手に染み付いてるのかなって。ロジックとかではなく感覚でやってるのが深いなと。日本のHIPHOPカルチャーが成熟してる印象を受けました」
H:「dudusなんてお父さんがSIMONと同い年って言ってたもんね」
S:「ヤバいですよね。僕がラップを教えてるLDHの生徒なんて小学生から高校2年生くらいまでですし、そのくらいが当たり前になってきてますからね」
W:「バトルの現場でも高校生は普通にいますし、みんなめちゃくちゃ上手いんですよ。16とか17歳とかで、ベテランと当たってもぜんぜん気負いしてるように見えないし、恐ろしいですよ」
(※注1)HIPHOP界のスラングでOriginal Gangsta(筋金入りのギャングスター)の略。そこから転じて、元祖、本物などの意味で使われる。
(※注2)ULTIMATE MC BATTLEの略で、2005年から始まった日本最高峰といわれるフリースタイルバトルの大会。
現役のクラブDJだからこそ
そんな若手2名が加わった「Choose Life」は第1弾とはビートもガラッと変わり、トラップ風味も入りつつ軽快なイメージに仕上がっている。
H:「もちろんガラッと変えたのは狙いとしてありますよ。前と同じことはやりたくないっていうことと、今のフロアに上手く混ざるような曲を作りたかったんです。だからといって他の曲と大差ないのは嫌だし、ちゃんと個性がある曲にしたかった」
意外と言っては失礼だろうか、2人の大ベテランDJが手がけたこの第2作目にはゴリゴリのオートチューンもかけられている。
H:「我々はキャリアだけでベテランだと思われてますけど、やってることはマジでただのパリピなんで(笑)。現役のパリピで現役のクラブDJだからこそ、今のサウンドを普通に取り入れてしかるべきなんですよ」
S:「こないだたまたま名古屋でHazimeさんがやってるクラブに行ったんですけど、パリピ箱みたいなとこでバチくそ盛り上げてて、流石だなと思いましたよね。この人が先輩でよかったなって」
なるほど、現役バリバリのクラブDJであり、最も現場に近いからこそ、最先端の音楽を取り入れることに何の抵抗もないということか。
では、この2人でどういった流れで曲を作っていくのだろうか。
W:「基本的にはHazimeがプロデューサー的に曲のイメージとか人選を考えて、自分がそれに合わせてトラックを作っていくんです。それでできたものを2人ですり合わせてって感じですね。もう長くやっているので完全に阿吽の呼吸ですよ」
H:「今回のテーマとしては、“こんな時代だけどどうせ生きてかなきゃいけないんだから前を向いていこう”みたいな感じですね。ただリリックも重くならず、馬鹿なパリピにもなりすぎずっていう微妙なニュアンスにしたかったかな」
タイトルになった「Choose Life」というのは直訳すると「人生を選べ」ということだが、実はこの言葉、90年代のイギリスで麻薬撲滅運動のスローガンとして使われていたようなのだ。
そして、映画「トレインスポッティング」の中でも皮肉っぽく使われているフレーズだ。
H:「それはね、このレコーディングの前にDaluがたまたまトレインスポッティングを観て、すごい影響を受けたみたいなんですよ。で、Daluが『Choose Life』って言葉を選んできたんです」
S:「僕はレコーディング前日にDaluのプリプロをHazimeさんからいただいて、それを聴いてからちょっとリリック書き換えてチューニング合わせました。トレインスポッティングから出てきた言葉っていうのはびっくりしましたよね。適当に言ってんのかなと思ってたら(笑)、けっこう深く考えてて素敵だなと思いました」
「トレインスポッティング」というと1996年に公開された25年も前の映画だが、今の若手たちは昔のカルチャーもしっかりチェックしているのだろうか。
S:「今回の2人に関してはけっこうチェックしてる印象ですね。こないだdudusとメシ食いに行ったんですけど、昔の俺の曲も聴いてくれてましたし。ちゃんとカルチャーを分かろうとしてくれてるのは嬉しいですよね」
H:「だってdudusなんてさ、その名前自体、ジャマイカの麻薬王の愛称から取ったんでしょ。すごいと思うよね」
3人の出会いを思い返してみる
ではSIMONの若手の頃はどうだったのだろう。
せっかくだからその当時の話も聞いてみたい。
H:「SIMONが出てきたときのこと、めっちゃ覚えてますよ。ラッパー人口も少なかったですしね。もともとハーレムで働いてたSIMONの連れのDJに紹介されたんです。その前から面識くらいは普通にあったんだけどね」
S:「あの頃はDJがミックスCD作るのが流行っていたんですけど、DJ MAMUSHIのCDのイントロで何小節か俺がラップしてたのを聴いてもらってて」
H:「で、『こいつヤバいね』って話してたんだけど、まだ居酒屋でバイトしてるって聞いて、『居酒屋で働いててもなんの人脈も増えないし、ちょうど俺が洋服屋やるからそこで働かない』って誘ったんです。業界内の知り合いも増えると思うしって。それでこないだのSIMONの『TRY』って曲の中で『ラップで食えたら速攻で辞めな』ってリリックにつながるんだよね。まぁうちの店も割とすぐ辞めてくれたしよかったなと」
W:「僕も最初はHARLEMでHazimeから紹介してもらったのを覚えてますね、洋服の店にもいつもいましたしね」
H:「当時のSIMONの大物ルーキー感はやばかったですよ」
W:「これからの東京を背負っていくのはSIMONだなって思ってましたから」
それはまだSIMONが24歳のときのこと。今から15年前くらいの話だ。
S:「ANARCHYとかSEEDAとかと一緒の世代なんです。当時はジャパレゲがすごい盛り上がってて、HIPHOPはちょっと下火な感じだったんですよ。いま思えば谷間の世代だったのかなと」
H:「いろんなものが終わるタイミングではあったね。『BLAST』(※注3)が休刊になったり、ドメブラのバブルも終わったり。『BLAST』の最後の号の表紙なんてSIMON、ANARCHY、COMA-CHI、サイプレス上野、SEEDAの5人だったよね。今はもうみんなベテラン枠だけど、当時はこれからのシーンのリーダーたちっていう特集だったから」
S:「あの最終号が2007年の春でしたね」
SIMON自身、HIPHOPは下火だったと回想するが、なぜそのタイミングでデビューしたのか。
ここで彼のラッパーとしての原点も探ってみる。
S:「兄の影響もあって子どもの頃からけっこうUSのヒップホップ聴いてたんです。Snoop DoggとかKris Kross、Spice1とかね。WAVEって輸入レコード屋が池袋にあったんですけど、そこで店員が書いた説明文をずっと朝から晩までチェックして、1枚だけ買って帰るみたいなことを繰り返してましたね。そこからCISCOとかMANHATTAN RECORDに通うようになったんです。そこのレコ袋を学校に持っていくのが流行ってて、その中に入ってたフライヤーがカッコよくて部屋に貼ったり。もうそこにはWataraiさんとかHazimeさんとかいましたからね。それで最初はDJになりたくて、13歳のときにDJセットをお年玉で買ってもらいました」
H:「DJから始めたの? 初めて聞いたよ」
S:「でも16歳くらいからラップするのも楽しいなと思ってきて。当時はパーティーも多くて、ギャルサーみたいなとこのパーティーで、パラパラやってた後にライブするみたいな」
最初は独学で、誰からも教わらずに始めたという。
S:「目で見て盗むみたいな感じですよね。俺なんてめっちゃ若かったんですけど、MEGA-GとかRIZEのJESSEとかと一緒にパーティーやってました。いまR LOUNGEがある場所にROCK WESTっていうクラブがあって、そこを昼間に借りて300人くらい呼んでライブしてたり。いま思えばけっこう儲かってましたね(笑)」
そんなSIMONも今年で39歳。
最新作ではメッセージ性の強いリリックが増えてきた印象も強い。
S:「この歳になって『テキーラ〜』とかクラブでお姉ちゃんとどうこうとか、まだそういうのやってたらただの馬鹿じゃないですか(笑)。年齢とともに自分が言いたいことも変わってきたし、素直でリアルな表現でやってますよ」
最近ではSNSでも話題のZ李氏が主催する、ホームレスへの炊き出しの手伝いもしていた。
S:「もともとZ李さんとは仲よくさせてもらってたんです。音楽だけじゃなくって、悪そうに見えるような人でもちゃんと炊き出しとかで社会に貢献しているっていうのもHIPHOPだなと思って。綺麗ごとじゃなくてリアルに現場を見たくて、自分から『見せてください』って連絡したんです。そしたらZ李さんが同じ日に漢くんも呼んでた(笑)。でも、本当にリアルだなって、オリンピックをやるやらないで揉めてた時期に、都庁の真下で炊き出しやってるんですよ。それ自体がメッセージだと思うし、そういう活動ができるのって素敵ですよね」
(※注3)国内随一といわれたHIPHOP専門誌。2007年5月に休刊。
コロナ禍を利用して新たなフェーズへ
コロナ禍だからこそ、アーティスト活動というものの幅は広くなってきたような気がする。
ライブやクラブでの活動が思うようにできないからこそ、今までにない道が開けてくることもある。
その代表的な事例のひとつが、配信アプリを使った「DJ配信」という新たなジャンルだろう。
H:「DJ配信はもう1年くらいやってるんですよね。配信ってしゃべることも必要だから、しゃべり慣れしすぎちゃって、最近ではしゃべりの仕事も増えてきました(笑)」
そのしゃべりの上手さとは、ABEMAのHIPHOP番組で司会を務めるお笑い芸人、カミナリも舌を巻いていたほどだ。
H:「コロナ禍を利用して新たなフェーズに向かうっていうね(笑)。あと配信やっててよかったのは、本当の自分のファン層が明確に分かったことですね。配信中にアンケートすると、年齢、男女比、住んでる地域とか全部分かっちゃうんですから」
そのアンケートをヒントにして生まれたのが、20時にスタートして夜中の2時に終わるという、今までになく早い時間帯からスタートするイベントだという。
H:「歳をとって夜遊びできないからクラブ卒業ってことじゃなく、終電で帰るような遊び方っていう選択肢を広げることに成功したなと。それで今はその時間帯に渋谷のバーでDJパーティーもできてるし、配信に挑戦したおかげですよね」
W:「僕は今年の3月くらいからやっと配信を始めて、まだまだフォロワーもいないので模索中です。僕の場合はそんなにしゃべるようなキャラでもないし、淡々とやってる感じです」
S:「やっぱりお客さんがダイレクトにいる場所でやるのとは違いますよね。俺もコメントを追ったりするの苦手なんですよ。そういうの漢くんとかRYKEYが上手いんですけど(笑)」
新しい活動を模索し、活路を開いていきつつも、まだまだコロナ前の状況とはほど遠いのも現状である。
H:「オリンピックが終わったとき、日本はどうなっているんだろうっていう怖さはありますよね」
W:「外国の観光客が戻ってくるのはまだまだ先だろうしね。クラブに行くのが怖いって人も多いだろうし、早い時間のイベントだけじゃなくて、野外のイベントとか親子で行けるようなイベントもあっていいかなって」
H:「我々の活動の柱はHIPHOPのDJですけど、いろいろやっていきたいですよね。現役のパリピDJ としては、もっと気楽に遊べる場所を提供したいって思ってます。まぁ前進あるのみですよ!」
生活のパターンが変化してきているのは確かなこと。
過去にすがらず、かといって現状にも媚びず、新しい音楽、新しい遊びの場を生み出す2人の姿は本当に頼もしく見える。
最後に、今回のインタビューと撮影場所としても使わせてもらった、ここHARLEMでの思い出を聞いてみた。
H:「具体的には言えないですけど『嫁を見つけました』って書いといてください」
W:「それだったら僕もここで嫁を見つけました(笑)」
S:「いいですね〜。俺は1stアルバム『SIMON SAYS』をHARLEM RECORDINGSからリリースさせてもらったんです!」
なるほど、いずれにしても人生の転機にはHARLEMが深く関わっているということか。
この3人のセッションをHARLEMで、生で早く観たい。
今はその日を楽しみに、待ち望んでいよう。
DJ Hazime
東京/渋谷を中心に年間300回を超えるクラブ・プレイをこなす日本のトップDJのひとり。CLUB HARLEMの土曜日のレジデントを長年務め、プロデューサーとしても、NITRO MICROPHONE UNDERGROUND / DABO / K DUB-SHINE / PUSHIM / MINMI / AKANE / RYO THE SKYWALKERなど名立たるアーティストに楽曲を提供。2004年、2013年には自身のアルバム『”AIN’T NO STOPPIN’ THE DJ” Vol.1, Vol.2』を、2010年、2011年、2013年、2014年には日本語ラップオンリーのオフィシャルMIX CD『THE EXCLUSIVES JAPANESE HIP HOP HITSシリーズ』をリリースし好セールスを記録している。ABEMA HIP HOP CHANNEL「AbemaMix」に水曜日と金曜日に出演中。また、クロージングブランド「DOUBLE HARD」のディレクターとしてファッション業界にも進出している。
Instagram:@djhazime
Twitter:@djhazime
Mixcloud:@djhazime
Twitch:@djhazime
DJ Watarai
中学生時代にスクラッチに興味を持ち、1991年頃より渋谷や六本木を中心としたクラブやダンスイベントなどでDJ活動を始め、現在でも年間200本を越えるDJをしている。さらに1995年にMTVで放送されたPETE ROCKのインタビューに衝撃を受け、トラック制作を始める。その後は、MUROやNITRO MICROPHONE UNDERGROUND、RHYMESTERなどの作品を中心に精力的な活動を続け、MISIAやAI、DOUBLE、安室奈美恵、加藤ミリヤ、DREAMS COME TRUEといったR&Bやポップス方面のアーティストにも楽曲を提供。現在は日本を代表するHIPHOPの聖地、渋谷 CLUB HARLEMのDJとしてオープンから23年間レギュラーを続けている。また現在、AbemaTVのHIPHOPチャンネルの「AbemaMix」にもレギュラー出演中。
Instagram:@djwatarai
Twitter:@djwatarai
Mixcloud:@hiroshiwatarai1
Twitch :@djwatarai
SIMON
2006年にアルバム『STREET KNOWLEDGE』をリリースし、瞬く間に東京ヒップホップシーンを代表する存在となる。その後もアルバム『SIMON SAYS』(08年)、『TWICE BORN』(11年)、『B.U.I.L.D』(13年)をリリース。2010年DJ TY-KOHのシングル「Tequila, Gin Or Henny feat. SIMON, Y’s」が、米国のラジオ局「HOT97」でプレイされたことは、日本人初の偉業として今もなお語り草だ。ソングライターとしても、2PMやGOT7などのK-POPグループ、BALLISTIK BOYZ from EXILE TRIBEや、声優・花江夏樹に楽曲を提供。2020年にはTBS「情熱大陸」に出演。2021年4月には『03』以来、約4年ぶりの新作『TRY』をリリースした。
Instagram:@simon_official23
Twitter:@simon_jp
HARLEM
http://www.harlem.co.jp/
9/11(SAT)
MONSTER SPECIAL
“HARLEM RECORDINGS presents DJ Hazime & DJ Watarai – Choose Life feat. SIMON, week dudus & Young Dalu RELEASE PARTY” at HARLEM
SPECIAL LIVE: DJ Hazime & DJ Watarai feat. SIMON, week dudus & Young Dalu
RESIDENT DJ: HAZIME, WATARAI, KIXXX (MASTERPIECE SOUND)
DJ: SpiTe, NORIO, MARU (TOKYO POSE POSSE), Lu-Q
MC: YOU-KID
OPEN. 23:00
LADIES ¥1,000/1D MEN ¥3,000/1D
till 24:00 ENTRANCE FREE!! (+1 drink charge)
Text & Photographs by Tomoyuki Omatsu(Still Tokyo/Btree)
Collaborative Activity & Coordinated by Hiromasa Ishikawa(Still Tokyo/GIGGLYROY)