MAIMI YOSHIHASHI 波瀾万丈を乗り越えて

MAIMI YOSHIHASHI 波瀾万丈を乗り越えて

ギャルを究めたらヤマンバになってた

「波瀾万丈」とは、変化がきわめて激しく、劇的であるさまを意味する四字熟語である。

MAIMI YOSHIHASHI。周囲から“まいみ”の愛称で親しまれている彼女は、今から9年前に「人に媚びない、世間に媚びない、権力に媚びない。自分自身を偽らない」というアパレルらしからぬコンセプトを掲げ、「KOBINAI」という唯一無二のブランドを立ち上げた。

その後、SHIBUYA109やラフォーレ原宿にも店舗を持ち、傍目では順調に進んできたように見える彼女の半生だが、話を聞いてみると、これがまさに「波瀾万丈」であった……。

「実は子どもの頃は真面目に勉強してたんだよね。まぁ、子どもの頃だから、してたって言うか、させられてたって言うか。頑張って小学校を受験して、大学までエスカレーターで進める学校に入って、千葉の実家から吉祥寺まで毎日2時間以上かけてちゃんと通ってたよ」

吉祥寺にあるエスカレーター式の学校というと、前首相を輩出し名門と言われるあの学園であろう。

「でも、中2の頃にはギャルに目覚めてたかな。それこそ『Popteen』最強時代で、ayuとか安西ひろこちゃんの表紙を見て、超可愛い〜とか思って。当時はカリスマショップ店員ブームで、私もジャッシーの店員がめちゃくちゃ可愛くて憧れてた!」

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いわゆるマルキューデビューもちょうどその頃だ。

「とにかくマルキューに行ってみたくて、でもなぜか怖くって、手汗かきまくりながら足を踏み入れたのを覚えてる。ジャッシーにも行ったけど、店員さんに勧められたスタジャンが超高くって、どう逃げようか考えてた記憶もあるし(笑)。で、ラブボートで手鏡だけ買ってすごすごと帰るみたいな」

意を決してギャルの聖地を初体験したまいみだが、当時は校則も厳しく、黒髪のままではカッコがつかなかった。

ギャルの道は厳しいなと思ったよね。中3の頃に“いろいろ”あって転校することになって……、高校受験しなきゃいけなくなったんだけど、高校を選んだ基準はとにかく校則がユルイことだった。高校受かったらソッコーで金髪にして、そこから1年半くらいで気がついたらヤマンバになってた(笑)」

話の展開が早すぎるのだが、ここで言う“いろいろ”については割愛したい。

“転校せざるを得ない不可抗力的な事件”があったとだけ記しておく。

ともかく、まいみは高2の頃には立派なヤマンバギャルになっていた。

「ギャルの勉強は『egg』とか『Popteen』だったんだけど、ヤマンバについては渋谷のクラブに通って学んだんだよね」

高校生なのにクラブ通い。

そんなことはもう時効だろうが、まだまだそれが珍しいことではない時代だったのだ。

「クラブでヤマンバを見て、ギャルを超えて突き抜けたらこうなるのか!って衝撃だったんだ。そこからは、その人たちを超えたい、どうやったら超えられるんだろうってことばかり考えてた(笑)。『egg』にも出たくてしょうがなかったし、そのためにもヤマンバを極めようと思ったんだよね」

 

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不可抗力的な“いろいろ”

まいみはこの頃を振り返りながら「いちばん楽しい時代だったかもね」と懐かしそうにつぶやいた。

ヤマンバになると、渋谷センター街で『egg』のスナップ隊にも声をかけられ、夢もすぐに叶った。

「ヤマンバになってよかった……」。17歳のまいみはまさに青春を謳歌していた。

しかし、ヤマンバは高校とともにあっさりと卒業することになる。

「高3の頃に“いろいろ”あって、けっこうヤバかったんだ。でもなんとか卒業だけはできて、特に大学でやりたいこともなかったからグラフィックの専門学校に行ったの」

またもや書けない内容で恐縮なのだが、この“いろいろ”はかなりハードな“いろいろ”だ。

自分の過ちのせいでヤマンバを続けるどころか、高校卒業も危うくなるような状況になったのだ。

そして専門学校へと進む。

「なんでか分からないんだけど、フライヤーとか、紙のデザインができるようになりたいって気持ちがあったんだ。あとはパソコンもかなり普及してきた頃だし、元々絵が好きだったからイラレで絵が描けるようになりたいなって。学校ではHTMLもついでに学んだりして、ダルかったけどちゃんと学校には行ってたよ」

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そして専門学校を卒業すると、なぜか広告代理店に勤めることになる。

「やりたいことも特になかったし、好きなだけ服買って、レイブ行って、一生遊んで暮らしたいと思ってた。夢なんて何もなかったな。知り合いに誘われるがままに会社に入って、グラフィックの勉強してたからなのか、広告のディレクターなんて仕事をいきなり任されてた」

しかし、ここで3度目の、書き表すことができない“いろいろ”なことが起きる。

自分でも「トラブルに巻き込まれやすい体質だったんだと思う」と述懐するが、またもや不可抗力の外的要因のために道を閉ざされる。

「私、けっこういいもの作ってたし、評価されてたんだけどね……」

納得いかないままではあったが、まいみは初めて勤めた会社を辞めた。

 

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計らずも生きた今までの経験

この頃から権力というものに対して漠然とした反骨精神を持つようになった。

広告代理店を辞めた後は、ガラケー用のウェブサイトを作る仕事に就き、iモードなどの携帯電話向けサイトを大量に作成した。その作業は専門学校で習ったHTMLについての知識をさらに磨くきっかけになった。

次にアパレルのウェブサイトを作る会社に入り、そこでは撮影の段取りなども学ぶことができた。

振り返ってみるとこの頃の経験が後々に生きたこともあった。

「でも、意見を言わない無駄な会議は多いし、飲み会に行ったら女たちは権力ある男に媚びてるし、世の中どーなってんだ、って思ってた。でも、私も何も言わず、ずっと自分の中でふつふつ怒りを沸かしているだけで。自分はいつまでこうやって同じことを繰り返してるんだろう……ってずっと疑問を持ちながら働いてた」

世の中へのモヤモヤ、そして自分自身に対する不満がだんだんと溜まってきた。

そして23歳のとき、天からの啓示のように、ふとした考えが頭の中に浮かんできた。

「この行き場のない気持ちを何かの形にして届けたい、いや、ぶつけたいなって。理不尽なことに対する想いはみんな少なからず持っているだろうし、ならばそれに対するメッセージとかマインドを届けたいってね。最初は絵を描こうかなと思ったんだけど、絵ってどうやって流通させるのか分からなかったし、いちばん伝わりやすいのは、いつも身につけている服なんじゃないか、なら絵をプリントした服を作ってみようって」

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そして計らずも今までの経験がここで生きる。

「よくよく考えれば、私はウェブサイトも作れるし、ネットショップも立ち上げられる。パソコンで服のデザインもできるじゃん!ってね」

この時代にはまだBASEやSTORESのように誰でも簡単にネットショップを作れるサービスは生まれていなかった。

だからこそ、アドバンテージを感じていた。

これをひとりでできる人なんて他にいないと。

そして一念発起。誰に聞くでもなくたまたま地元の近くで見つけたプリント店の看板を見つけて飛び込んだ。

「お店の看板とかカッティングシートの製作がメインのとこだったんだよね。そんなこともよく分からずにガラガラってドアを開けたら、いい感じのジイさんが出てきて、プリントTの作り方とかイチから教えてくれたんだ。で、そこに入り浸って、とりあえずプリントものを作るようになった。当時はお金もなかったからすごく安くしてくれて、『たくさん売れるようになったらたくさん発注してね〜』って言ってくれたんだ。だから今でもその店と付き合いがあるよ」

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これがKOBINAIというブランドのスタートだ。

デザインから撮影、ウェブ制作まですべてひとりで行った。

しかしながら、すぐ軌道に乗るなんていう美味い話はなく、貯金もあっという間に底をついた。

「朝はコンビニバイト、昼間はパソコン教室の講師、さらに夜の仕事も掛け持ちして、その合間を縫ってデザインしてはTシャツ作ってたね。タバコを買うお金もなくてめちゃイライラしてたけど、飲みに行くことが宣伝だと思ってたから絶対に人の誘いは断らないようにしてた。でも、貯金箱ひっくり返しても電車賃すらなくて、どこにも行けないこともいっぱいあったな……」

だが、その行動力のおかげか、見事に幸運を引き寄せる。

飲みに行った先で109の店舗リーシング担当者に出会ったのだ。

「人に媚びない、世間に媚びない、権力に媚びない。自分自身を偽らない」。そんなアパレルブランドをやっていることをアピールすると、興味を持ってもらえた。

そしてトントン拍子で109への出店が決定する。

「聖地じゃーん!って自分でもびっくりしたよね。手汗かきながら入ったあのマルキューにまさか自分が店を出すことになることになるなんてね」

 

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新たなKOBINAIのスタート

それから時が経ち、ブランド自体の知名度はどんどん上がっていった。

数年後には109から退店することを自ら選び、その後ラフォーレ原宿店をオープンさせた。

「今年でブランドを始めて9年目、ここまでよく来れたと思うんだよね。いくつかの会社から一緒にやらないかって誘いもあったけど、自分の意図しないものを作ったり、意思にそぐわないことをやらなきゃならなくなる状況になるんじゃないか、って思ったら、それはいちばん避けたいこと。だから断ったし、そもそも自分のやりたいようにできないとKOBINAIじゃない。だからこそ、ここ2年くらいずっと悩んでたことがあったんだ」

そして2020年を迎える。

「自粛期間中に自分と話し合う時間が増えて、そしたら前からずっと思ってた『まだ自分がやったことのない新しい表現がしたい』って気持ちがだんだん大きくなってきて。そのために『お店に使っていた時間とかを全部費やしてでもその表現に挑戦したい』って想いが爆発しちゃった。だからお店をやめる決心をしたんだ」

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こうして2021年、KOBINAIは新たなスタートを切ることになった。

変わっていないことは当初からのテーマである“媚びない”ことだけだ。

「これからは服だけの表現に縛られずに、ありとあらゆる手法を使って表現をしていきたいと思ってる。表現者になりたいというか、あえて言うと《ニンゲン》になりたいなって。欲望のままに何かをするとか、思いついたことをすぐにやるとか、純度高く、本能のままに動き続ける。そんな原始的な生き方、それが究極目指していること!」

さらに声のトーンを上げてこう続ける。

「お金があってもいいことばかりじゃないと思うし、苦しい時だからこそ生まれるものもあるはず。お金があればキャンバスに絵を描くだろうけど、キャンバスを買うお金がなかったらダンボールに描くかもしれない。でもその方がいい作品が生まれるかもしれないよね。ものは捉え用だし、何でも受け入れて自分のものにすることが大事」

そして「今いちばん言いたいこと」として、こう締めくくった。

「“逆境を逆手に取って、チャンスに変える”。この1年でその大事さを痛感して、実践することができたから。私は、もっと自分自身が感じること、理不尽なことや些細な悩みだったり、世間に対する怒りだったり、楽しいことも共有したいし、もっと今まで以上にメッセージを発信したい。そして、その発信方法はどんな方法でもいいと思ってる。だからこそ、今、新たなる挑戦をするんだよ。挑戦はいつからでもできるし、いつからしても遅くない。思い立ったときが吉日っていうじゃん? やらないよりやったほうがいいし、やらないなんて選択肢はない。何かを言い訳にしたくないからいつでも全力でやりたいって思ってる。それが、媚びない=偽らない。I DON’T LIE TO MYSELFだから。それをテーマに掲げて第2のスタートを切りたいと思ってる!」

 

まいみの波瀾万丈な人生はまだまだ続くのかもしれない。

しかし、気がつけばここ数年は、過去に多々あった不可抗力的な“いろいろ”に遭遇することはなくなっていた。

これはもうすでに、まいみのいう《ニンゲン》に近づいている証なのかもしれない。

 

となると、まいみとKOBINAI のこれからはもっとヤバいことになるだろう。

間違いなく。

MAIMI YOSHIHASHI 波瀾万丈を乗り越えて

MAIMI YOSHIHASHI
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