KUMA ハンバーガーとロックンロールが導いたもの

東京よりやや西――。

京浜東北線で横浜よりひとつ手前の、東神奈川という駅に降り立ったことはあるだろうか?

駅を出ると、そこには線路に沿うように国道1号が走っている。

大型トラックの交通量も多いこの幹線道路に寄り添うように、BEAR’S DINER(ベアーズダイナー)はあった。

ホームメイドの本格的なハンバーガーを売りに、地元民から愛されるだけでなく、なぜかロックミュージックのファンも多く訪れるという、異色のダイナーを生み出したのが、KUMAという一見コワモテ風の男だ。

 

アメリカでの出会い

「もともとハンバーガーは普通に好きだったんですけど、2005年にLAに行ったとき、向こうのハンバーガーに衝撃を受けたんですよ」

店を開いた理由を聞くと、トレードマークと思われるドレッドヘアをかき上げながら、常ににこやかな表情で語ってくれた。

「アメリカではレストランでもファストフードでもハンバーガーに対してのこだわりがすごい強いんですよね。店によって味の違いも明確だし、それがヤバいなと思って」

料理についてはまったくの素人だったというが、不思議なほどに、ピンと来るものがあった。

「そもそもアメリカに行ったのは、大好きだったPANTERA(パンテラ)っていうバンドのギターがライブ中に射殺されちゃって、その墓にどうしても行きたくて。LAを拠点にして、墓のあるテキサスに移動する間も、ずっといろんな店でハンバーガーを食べました。ただ、どこで食べてもまったくもって丁寧な作りじゃないんですよ。ケチャップ好きなだけぶっかけとけみたいな。でもそういった雑な感じが日本にはないものだったし、要するに豪快さにハマったんです。この独特な雰囲気と味を日本に持ち帰りたいなって」

実はこのとき、頭の中ではしっかり計算をしていた。

妹が料理学校を卒業しており、料理人のアテはあったのだ。

アテはそれだけじゃない。

「もともと今の店の隣で母がジーンズショップを40年くらいやっていたんです。アメカジ系の服も取り扱っていたので、ハンバーガーを出しても合うんじゃないかなと。だから最初は服も売りつつ半分はハンバーガー屋さんにしようって」

そして2012年。今の場所に移転し、本格的にBEAR’S DINERは始動した。

母親と、料理学校を出た妹と、さらには妹が料理学校で出会ったという妹の旦那も一緒に、家族で一致団結して店をオープンした。

「ダイナーって名付けていますけど、カラフルでコテコテのアメリカンダイナーではなくって、テキサスに向かったときに立ち寄った砂漠の中にあるダイナーだったり、カントリーバーのようなイメージにしました。木の壁とか店の飾り付けは、前のジーンズショップからかなり移設したので、渋い雰囲気になったかなと」

もちろんこだわっているのは見た目だけではない。

「僕は細かいことはよく分からないんですけど、妹夫婦に助けてもらいながら、メニューにもこだわりはしっかり詰め込んでいます。肉の歯応えとか肉本来の旨味は最も大事にしていて、だからケチャップも使っていません。マヨネーズはなるべく少量に、野菜とピクルスはスライスじゃなく全部角切りにしています。そうすることでお子さんでも食べやすくなりますし、肉汁がしっかり絡むんですよね。もちろんバンズにもこだわってオーダーメイドしていますし、無駄なく美味しく食べて欲しいっていう気持ちが強いですね」

身内に料理人がいるのは心強いことだろう。

そのおかげで、ハンバーガーだけでなく、ロコモコやタコライス、手作りのデザートも提供するようになり、夜にはピザとビールも楽しめる、まさに胸を張って「ダイナー」と言える店になった。

 

FULLSCRATCHとの邂逅

とはいえ、飲食店の経営はそんなに甘いものではなかったようだ。

「3年目まではけっこう苦しかったですね。でも、ちょうどそのとき、FULLSCRATCH(フルスクラッチ)が店内でPV撮影をしてくれたんです。RADIOTS(レディオッツ)からYOSHIYAさんもかけつけてくれて、店内にバンドセット組んで演奏したり、恐れ多くも僕も出演させてもらいました(笑)。そのプロモーション効果がほんとに大きくって、バンドのファンはもちろん、交流がある他のバンドも店に来てくれたりして」

FULLSCRATCH -Always Rising After Fall
店内で撮影したFULLSCRATCHのPV

 

実は店をオープンする際、KUMAには心に決めていたことがあった。

「とりあえず5年間は休まずに駆け抜けようって思ってました。でも、このPVを撮影した日だけ、その誓いを破って休業しちゃったんですから面白いですよね」

こうして、まさに救世主のように現れたFULLSCRATCH。

しかし、この人気ロックバンドは、なぜ東神奈川にあるこの店でPVの撮影をしてくれたのだろう。

ここで、KUMAとFULLSCRATCHの関係性を聞いてみた。

「ついにその話に入ってきましたね(笑)! もともと僕はただのお客さんだったんですよ。高校生の頃、普通にチケット買ってFULLSCRATCHのライブをよく観に行ってました」

KUMA ハンバーガーとロックンロールが導いたもの

いわゆるロック大好き少年だったというKUMA 。

Hi-STANDARD(ハイスタンダード)やBRAHMAN(ブラフマン)、SOBUT(ソバット)からロックに興味を持ち、その後FULLSCRATCHにハマった。

「実は16歳のとき、父親と喧嘩して家を出たんです。しばらく友達の家に居候して、バイトを頑張って、17歳のとき、そのお金で横浜市内にアパートを借りて住んでたんです」

今は家族みんなでお店をやっているが、過去には長く離れていた時間もあったようだ。

そんなハードな経歴もさらっと告白しつつ、昔のことをさらに熱く語る。

「高校を卒業すると同時に、下北沢でひとり暮らしを始めました。下北のSHELTER(※注1)にチャリンコで行くのが夢だったんです。チャリでライブハウスの目の前に乗り付けて『今日何のライブやってんの?』みたいなことがしたくて(笑)。そんなローカル感に憧れてたんです」

その後、ロック好きが高じ、友人の紹介でSPOKE!(スポーク!)というバンドにスタッフとして着いて回るようになった。

ロック少年だったKUMAは、いつの間にかロックの内側の人間になっていた。

(※注1)数々の伝説を生み出してきた下北沢を代表する老舗ライブハウス。

 

信頼と愛情と

「でもSPOKE!はすぐに解散しちゃったんです。それで、SPOKE!と仲がよかったFULLSCRATCHを紹介してくれて。僕も昔からファンだってことで、ライブのときは毎回のように行かせてもらうようになりました」

スタッフと言っても決まった仕事があるわけではない。

雑用ばかり頼まれる、いわゆる何でも屋だ。

「好きの気持ちひとつだけで、専門的な知識はまったくないですからね(笑)。いまだに楽器のケーブルを巻けるわけじゃないし、ライブハウスで『あの電源入れてくれ』って頼まれてもどこのことだか分からない。仕事ができる人は他にたくさんいるんですけど、僕の場合はすごい例外で、メンバーからはバンドのマスコットキャラクターだって言われてます(笑)」

ニコニコとそう語ってくれたが、好きの気持ちひとつではできないハードな裏方仕事もきっとあるだろう。

FULLSCRATCHは2003年にいったん解散し、KUMAは貯金をはたいてアメリカへと旅立ち、前述のようにハンバーガーに出会い、日本に戻ってきた。

そして2006年、FULLSCRATCHは一晩だけの復活を経て、2007年に完全復活する。

そのときにもまたKUMAはまたスタッフとして招集された。

それから現在に至るまで、現場があるたびに呼ばれ続けている。

それはまぎれもなく、信頼と愛情の証だろう。

その信頼と愛情は、BEAR’S DINERをPVの撮影場所に選んでくれる前からずっと続いているはずだ。

 

横浜でテッペンを

そしてBEAR’S DINERは来年いよいよ10周年を迎える。

「5周年のときはF.A.D横浜(※注2)でBEAR JAMっていうライブイベントをやらせてもらったんです。イベントを主催したこともないし、どうすればいいかさっぱり分からなかったんですけど、『5周年を逃したら次はまた5年後しかないぞ』ってイベンターの方とF.A.Dの方にハッパをかけてもらって、頑張ってやってみようかって。FULLSCRATCHのみなさんにはもうひとつやってるバンド、RADIOTSとしても、FUCK YOU HEROESとしても出演してもらったり、そのときもすごいお世話になっちゃいました」

しかし5年前とは違い、今年はご存知の状況だ。

周年パーティーを行うという決断をするには、とても難しいものがある。

「ただ、イベントができなくても、お世話になってきたみなさんと何かしらの形でコラボレーションができたらいいななんて思ってるんです。たとえばグッズを作らせてもらったり、どんな形でも記念になるものができれば嬉しいなって」

(※注2)横浜中華街近くにあり、横浜のバンドシーンを盛り上げ続けているライブハウス。 

 

インタビュー終盤、これから先の目標を聞くと、終始ニコニコしていた表情を一瞬だけ引き締めた。

「やるからにはやっぱりまずは横浜でテッペン取りたいですね。でも、今は目の前のことに一生懸命すぎて先のことは見てないです。バンドの先輩たちもすごい方ばかりで、その先輩たちの背中を見て僕は育ってきたから、いつまでも胸張って顔向けできるように、やっぱり負けたくないっていう気持ちだけでやってますから」

飲食店にとっても、音楽業界にとっても、かつてないほど厳しいシチュエーションに直面しているのは誰もが分かっていること。

だが、その渦中にいるこの男は、最後にまた笑顔に戻り、こう締めくくってくれた。

「まぁ本当に苦しいですよ。苦しいのは間違いない。でもこうして笑っていられるし、仕事を楽しむことを忘れていないから、まだまだ大丈夫かなって!」

一意専心。笑⾨来福。

常に好きなことにまっすぐ向き合い、常に笑顔を絶やさないこと。

そんな純粋なことの大切さに、改めて気付かせてくれた数時間のインタビューだった。

夕方になった真夏の横浜港には、爽やかで気持ちいい風が吹き始めていた。

 


KUMA BEAR’S DINER オーナー
Instagram:@kumascratch
Twitter:@deathbear6

BEAR’S DINER
神奈川県横浜市神奈川区二ツ谷町21 アベニュー横濱ビル1F
営業時間 11:00〜21:00
定休日 第3水曜日
ショップサイト:https://bearsdiner.com/
Instagram:@bearsdiner

※営業時間・定休日が記載と異なる場合がございます。ご来店時は事前に店舗にご確認ください

 

Text & Photographs by Tomoyuki Omatsu(Still Tokyo/Btree)
Collaborative Activity & Coordinated by Hiromasa Ishikawa(Still Tokyo/GIGGLYROY)

 

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