私に合っている場所
上野駅から京成本線の特急に乗ること約40分。
千葉県・八千代台駅。
駅前には大きな商業施設もある、いわゆるベッドタウンとして発展してきた街だ。
そして、この駅からほど近くにある、たくさんの花で可愛く彩られた店が彼女の現在地だった。
斉藤夏海。
「なつぅみ」の愛称と、そのハッピーな笑顔で、雑誌『Ranzuki』をはじめさまざまなジャンルで活躍し、ティーンのファッションアイコンだった元・人気モデルが、自分の店をオープンしていたことはSNSで知っていた。
今回はここに至るまでの経緯をぜひ本人の口から聞きたくて、この店まで足を運んでみた。
「今は洋服のお店と、カフェ、それとバーを合体したものをやっています。もともとは車で全国を回りながら、自分で作ったお洋服を売りたいと思ってたんですけど、調べたら許可とかいろいろハードルが高くて、現実的じゃないなって思って、だったら自分でお店をやろうかなと」
八千代台という場所を選んだのは、実家からもそう遠くなく、高校生の頃にもよく遊びにきていて、土地勘はあったからと言うが、どうやらそれだけではないようだ。
「昔から人が多いのが苦手で、人混みを見るだけで気分悪くなっちゃうので(笑)、のんびりできるところで物件を探して、ここにたどり着きました。おじいちゃんおばあちゃんも多くてすごいのんびりしてる場所なので、私に合ってるかなって。全部自分たちだけで内装をやったら4ヶ月くらいかかっちゃって、オープンする前の日までぐちゃぐちゃだったんですけど、なんとか自分が好きなカラーを出せました。もうかなり愛着わいてます!」
店が完成したのは今から1年半くらい前のことになるが、すでに地元の人にも愛される場所になったという。
「みんな、最初はピンクのドアで入りにくかったみたいで、何あの店って噂になってたみたいです(笑)。となりにおしゃれな床屋さんがあって、そこのお客さんたちが来てくれるようになって、今では昼から飲みに来てくれる常連さんたちもいるし、いつも超愉快です。コロナ前には、仲のいいお客さんとみんなで一緒に旅行にも行ってましたし、そのくらい仲良しな、年上だけど友達みたいな人たちがたくさんできました! もともと友達が少ないので、そうやって友達ができたのも嬉しい(笑)!」
カウンターにはところ狭しと世界各国の銘酒のボトルが並び、その奥には本格的なエスプレッソマシンが鎮座する。
そして、入り口付近には海外で買い付けしてきた洋服、そしてオリジナルのTシャツなども置かれていた。
「ずっと洋服を作る仕事はやりたかったんですけど、どこかの会社に入って、いつまでに何型作れみたいなやり方が無理な性格なので……。自分たちでひとつひとつ丁寧に作りたかったんです。それで実家の敷地内に作業場を作って、プリントの版を作ったり、タグを縫い付けたり、全部手作りでやってました。とりあえずやってみよう!って勢いだけで始めたので、何も知識がなくてちょっと後悔したこともありましたけど(笑)」
好きなものに囲まれて
そして完成したブランドに彼女は『PEANUTS CAT(ピーナッツ キャット)』と名付けた。
ピーナッツ=落花生といえば千葉県名産品としてすぐに名前が挙がるもの。
もちろんそれが由来になっているのかと思いきや……。
「飼ってる猫のお腹が、ピーナッツの匂いがしたんです、すごい香ばしくて、ほんとにいい匂いだったのでそれを名前にしちゃいました。あまり意味を持たせたくなかったし、このお店の名前もぜんぜん浮かばなかったから『NO IDEA CAFE(ノーアイディア カフェ)』にしちゃいました」
店を作るにあたり、洋服を置くだけじゃなく、カフェを同時に始めた理由についても、マイペースさが伺える。
「PEANUTS CATはもともと1年くらいネットだけで販売してたんですけど、人と会う機会がまったくなかったので、急に人と接したくなって(笑)。移動販売はやっぱり現実的じゃないと思ったので、お店を開こうかなって。カフェにしたのは、もともとコーヒーが好きで、毎日飲まないと生きていけないような人間だったし、海外とかいろんな場所で出会った可愛い飲みものを作りたいなと思って。そのコーヒーを飲みながらゆっくりお洋服やアクセサリーを見れる空間を作りたかったんです。日本にはあまりそういうお店がなかったから。お洋服、コーヒー、お花、全部自分の好きなものを詰め込んだお店ができて、それに共感してくれるお客さんがたくさんいてくれて幸せです!」
「好きこそ物の上手なれ」ということわざがある通り、コーヒーの味も、素人から始めたとは思えないほど本格派だった。
「とりあえずエスプレッソマシンを買ってみたんですけど、使い方がぜんぜん分からないし、カフェで働いたこともないからどうしようかって。練習に練習を重ねて、なんとかオープンまでには美味しいものが出せるようになりましたけど、いま考えると我ながらよくやったな〜って。実は友達に、カフェで何年か働いた後に今ではコーヒーマシンの会社に入社した、すごいコーヒーマニアの子がいて、その子にハンドドリップのやり方も教えてもらいました。そうやっていろいろまわりに助けられながらですが、奇跡的にちゃんとお店ができています」
まさに自分の城と呼べる居場所を持ち、モデル時代と比べてライフスタイルは様変わりした。
だがその一方、モデル時代からのファンがここを訪れることも多いようだ。
「お店を始めてから1年半くらい経ちましたが、たぶん日本全国、北海道から沖縄まで全都道府県からお客さんが来てくれたと思います! ネット販売だけじゃ会えなかった子たちにも実際に会えることは本当に嬉しい! もちろんネットでお買いものしてくれてた子たちに会えるのも喜びです。宅配便の伝票も自分で書いているので、よく買ってくれる子の名前は覚えてますし、本当にいつも買ってくれる子は住所も記憶しちゃってるくらいだから(笑)。お店で名前聞いて、よく書いてた子の名前だと嬉しい!やっと会えたー!って幸せな気持ちになってます(笑)‼︎」
モデルになって、モデルをやめて
事務所を辞めてフリーになってからすでに約3年、『Ranzuki』を卒業してからは7年以上が経っている。
当時からギャルモデルという枠を軽々と飛び越え、個性が強く、自分というものをしっかり持っているように見えた。
だからこそ、そんな彼女には、惹かれ続けている根強いファンが多いのだろう。
ここで改めて、モデルになったきっかけを聞いてみた。
「中学生の頃は美容師になりたかったんです。父が床屋さんをやっていて、2人の兄も美容の専門学校に行ってたので、家族みんなでお店ができたらいいなと思って」
転機は高校1年のとき。それは突然の連絡だったという。
「きっかけはCROOZブログでした。毎日あったことをただ載せてただけなんですけど、ずっとランキング1位になってて、それを見たシュガーさん(当時の『Ranzuki』編集長)から連絡がきたんです。最初は嘘なんじゃないかと疑ってましたけど、おそるおそる顔合わせに行ったら、『専属モデルを3人決めたくて、そのうちの1人にしたい』って。私、表に出るのはあんまり得意じゃなくて、引っ込み思案だし、人見知りの照れ屋なのでブログを書いてただけなんです。でも、『Ranzuki』は小学生の頃から読んでいた雑誌だったし、このチャンスを逃すわけにはいかないと思って、すぐにお願いしますって言いました」
そして、安井レイ、鎌田安里紗と並び専属モデルとしてデビューし、誌面でも瞬く間に人気者となった。
「ただ、最初の撮影までに髪の毛を明るくしなくちゃダメで、校則が厳しかったので高校には黒いウイッグ被って行ったら初日でバレて……。それまでも遅刻ばっかりしてたから進級できなくなっちゃったんです……。それで通信制に行ったんですけど、もうそこからは仕事ばっかりの高校時代でした。あの頃は毎日が楽しくって、撮影も楽しいし、編集の人たちも本当に楽しい人たちばっかりで、あの時代に『Ranzuki』に出られたことは最高でした」
しかし、ティーン誌には「卒業」というものがつきものである。
「そうなんですよね、20歳で卒業しなきゃいけないっていうルールがあったんですけど、その後のことがまったく想像できなくって……。具体的にやりたいこともないし、どうしようかなって悩んでました。事務所にも入りましたけど、みんな私をどうやって売ったらいいか分からなかったのかもしれないですね。ギャルでもないし、男性に好かれるタイプでもないし、特殊な立ち位置だっていうのは自分でも理解していたので」
そしてさらに現実的な言葉を重ねる。
「表に出る仕事をずっとしたいとは思ってなかったし、背の高さも中途半端だし、一生モデルができるわけじゃないのは最初から分かってましたから。雑誌のモデルを続けていても、いつ雑誌自体がなくなるかも分からないですよね。あと、私は本当にありがたいことにいろんな仕事をいただいてましたけど、『Ranzuki』の人たちの愛情がすごかったからか、ずっと『Ranzuki』ロスみたいな状態だったんですよね。だから、もうこんな気持ちで続けるなら全部やめようかなって。資格も何も持ってないし、だったら自分で一生できる仕事がしたいって。だって自分のことを養えるのって自分だけじゃないですか」
それでも、続けていたらどうなっていたのか想像することはないのだろうか?
「まったくないんですよね。未練もないですし、過去の栄光にすがろうとも思いません。今は今ですごい心が安定してるんです。穏やかな気持ちで毎日いられるし、今がいちばん自分らしい感じがするんです。ファンの子にも、今のなっちゃんが生き生きしていちばん楽しそうって言われたり」
常にハッピーで、いつも笑顔でいる。
モデル時代はそんなイメージが強かったこともプレッシャーになっていた。
プライベートでファンに会ったときでも、ずっと笑っていないと怖がられる。
なつぅみ=笑顔のイメージが辛いと思ったこともあった。
「昔はSNSでもハッピーなことしか発信しないように気をつけてましたけど、それもストレスだったのかもしれないですね。もう今はムカつくこともはっきり出すようになりました。そっちの方が人間らしいですよね。前まではあまり人に興味なかったし、何を話せばいいか分からなかったこともありましたけど、お店をやって、いろんな人と話すようになったおかげでコミュニケーション能力はちょっとだけ上がったかな(笑)。みんな昔の私を知ってるわけじゃないから気が楽だし、居心地がいいんです」
いちばん幸せになれる裏技
最後に、これからの夢や目標を聞いてみると、あっけらかんとした顔で笑った。
「やりたいことって、何かやっていたら自然と出てくると思っていて。ドライフラワーもそうなんですけど、最初は本当に趣味でみんなからいただいたお花をドライフラワーにして飾ってたら、それを欲しいって言ってくれる人たちがいて、じゃあ自分でお花を仕入れてみよう!ってなって、早起きしてお花の市場に買いに行ってます(笑)」
そして少し真面目な表情になり、こう続ける。
「やりたいことが見つからないってよく相談されるんですけど、みんなそうだと思う! 私もそうだし! だからあせらないでいいし、年齢なんてただの数字だし関係ないよ!って思います。ただ、やりたいことを見つけたときにすぐに挑戦できる行動力と、必要な分の貯金は大事なことだなって実感しています。今のお店をオープンするために必要なお金は全部自分の貯金から出したので、あの頃から貯金してた自分に拍手を送りたい(笑)。だから自分の将来で悩んでる子たちは、もっとフラットに、のんびりいろんなこと経験して、いろんなとこ行って、いろんなものを見て、自分の知らないことを知って、そしたら自然と『これやってみようかな』って思えるものに出会えるんじゃないかな。自分の心に正直に生きていってほしい!それがいちばん幸せになれる裏技です(笑)!」
さらに、最後にこう付け加えてくれた。
「人の目や意見を気にするのはよくないって、ずっと思ってるんです。何か新しいことを始めるときって必ず反対する人がいるけど、それにまどわされないでほしい。もしそれが失敗したとしても、自分の経験値になるし、決してマイナスにはならないと思う。そこから学べることは必ずあるし、今まで自分が経験してきたことで無駄なことなんてひとつもないっていうことを知ってほしい!」
こうやってポジティブなメッセージを送ってくれた彼女にも、きっと想像できないような、いろいろなこともあったのだろう。
ただ、自分でやりたいことを、ここまで形にしてきたからこその説得力が、そこにはある。
「今が本当に楽しい」
このインタビュー中、彼女は繰り返し繰り返し、こう口にしていた。
今までのこと、そして今現在思っていることをゆっくりと語ってくれた彼女の穏やかな表情は、冬晴れのやさしい日差しが似合っていた。
斉藤夏海
Instagram:@natsuumikun
Twitter:@natsuumikun
PEANUTS CAT & NO IDEA CAFE
千葉県八千代市八千代台東1-17-12
営業時間 12:00〜20:00
定休日 月曜日・第2日曜日
完全予約制(以下のインスタグラムのDMから予約できます)
Instagram:@peanutscat_noideacoffee/
ブランドサイト:http://peanutscat.com/
Text & Photographs by Tomoyuki Omatsu(Still Tokyo/Btree)
Collaborative Activity by Hiromasa Ishikawa(Still Tokyo/GIGGLYROY)