まさにガイダンスか
渋谷道玄坂から百軒店を通り、円山町へと抜ける静かな道を歩いていると、突如トロピカルな外観のレストランが現れる。
ジャマイカンレストラン「GOOD WOOD TERRACE(グッドウッドテラス)」。
本場の味をよく知るレゲエ関係者のみならず、渋谷の若い男女からも支持を集め、さらには来日したジャマイカ人アーティストもかなりの確率で訪れるという人気店だ。
そしてこの店のオーナーを務めているのがKENTAである。
「渋谷にオープンして今年でもう9年目になります。その前は池袋で7年くらいやっていたので、気がつけばけっこう長い間やっていますね。池袋のときは共同経営してたんですけど、そのテナントが使えなくなったり、いろんな理由があって渋谷に移転してきました」
店をスタートした16年前というと、あの伝説的イベント「横浜レゲエ祭」も10周年目を迎え、すでに日本のレゲエミュージック界隈は盛り上がっていた時代だ。
だが、ジャマイカ料理に関してはまだまだ一般的にはマイナーな存在だったのではないだろうか。
「もともとは、ジャマイカで料理の修行をした人がオープンした店だったんです。でも体調を崩しちゃって店を畳もうかっていうタイミングで、巡り巡って自分のところに話が来て。僕もいつか自分のお店を持ちたかったからいいチャンスかなって。資格は持ってたんですよ。防火管理とか衛生責任とか」
それまでも飲食を含めいろんな仕事を経験してきたというKENTA。
だが、「ずっと熱くなれるものを探していたのかもしれない」と遠い昔を振り返るように話してくれた。
「自分は〈風の人〉っていうクルーでDJとして活動していて、そのイベントにお客さんとして前のオーナーがたまたま来てくれてたみたいなんです。だから本当にガイダンスですよね。自分自身も最初はドラムンベースがメインだったんですけど、ジャングルとかを通して、ちょうどレゲエにも触れていったタイミングでした」
ガイダンスとはレゲエ界でよく使われる“何かからの導き”を意味する言葉である。
となると、渋谷に移転してきたのもガイダンスがあったのだろうか。
「それもあるかもしれませんが、いつか勝負してみたいと思っていたんですよね。池袋と比べて家賃は高いですけど、どうせやるんだったらリスクを背負ってでも結果を出したいと思ったから渋谷に来たんです」
ちょうど移転するタイミングで腕利きのジャマイカ人シェフが合流し、メニューも増え、店は進化していった。
ジャマイカそのままの本場の味は渋谷で評判になった。
「とはいえ自分が社長になった当初はかなり苦労しました。そもそも【経営】っていう概念を持っていなくて(笑)、『渋谷でお店をやるぞー!』みたいな軽めのノリでスタートしたので」
唯一の武器を磨いて
話を聞いていて面白かったのが、「苦労はしたけど大変だったとは思わない」と語っていたことだ。
「渋谷に来た当初は『ジャマイカ料理店として日本一になりたい‼︎』とか抜かしてましたけど、そもそも何のために店をやるのかって考えると、『喜びを売りたい』ってことだったんですよね。より多くの人にジャマイカ料理を食べてもらって、喜んでもらえることを仕事にしたいと。だから、仕事を通じて人に喜んでもらうってことからブレなければ大変とは思わないんです。昔から人に喜んでもらうのが好きで、それが自分の唯一の武器なのかもしれないから」
少しはにかみながらKENTAはさらに続けた。
「みんなと一緒に釣りに行っても、エサをつけたり仕掛けを作ってあげたりしちゃうんです。自分が釣るよりも釣らせてあげたいって気持ちが大きくなっちゃうし、そういう性分なんでしょうね。だから純粋に釣りを楽しみたいときは基本ひとりで行くようにしてます(笑)」
こういった実体験から、自分が苦手なことを一生懸命やっていても、生産性がないということにも気づいた。
自分の苦手なことを頑張るよりも、得意分野を持つ仲間を増やして、それぞれを補完していった方が得策なのではないかと。
「ONE PIECE的というかRPG的な考え方ですよね。苦手なことをやるよりも、それぞれが得意なことで突き抜けたほうがいいって。今の世の中、いくら素晴らしい部分があっても、ダメな部分が少しあるせいで評価されないなんてこともあるけど、みんなで助け合えば勝負できるはずだし、そこを考えるのも社長としての楽しさのひとつになってます」
相互扶助の考え。
これはまさにジャマイカに根付いている考え方と同じなのだ。
彼がこういった考え方を自然とできたのも、ジャマイカからの影響なのではないだろうか。
改めてジャマイカとの馴れ初めについて聞いてみた。
「DJをしていて、レゲエが好きになった頃、池袋のBED(ベッド)っていうクラブで17〜18年前に日曜日にデイイベントを始めたんです。そこのオーナーにはいろいろとすごく助けてもらったので、恩返しじゃないんですけど、いちばん暇な時間を借りて。そのイベントを1年間やっているうちにレゲエに本格的にハマって、ジャマイカ人との交流も増えていきました」
そして今では毎年お店のスタッフを連れて研修旅行に行くほど、ジャマイカはKENTAにとってアナザースカイ的な存在になった。
「店に来てくれた人にジャマイカの食文化を広めたいのはもちろんですけど、あの雰囲気、あの街の感じ、ジャマイカ人の価値観、いつでも前向きな彼らのマインドをもっと知ってもらいたいんです。もちろん貧しい人も多いんですけど、“本当の浮浪者はいない”と言われているほど助け合いのコミュ二ティがあって。今の日本にはない人間らしさ、ストレートさ、やりたいことをやること、一度きりの人生なんだからやりたいことをやったほうがいい、そんなことをジャマイカのカルチャーが教えてくれたので」
だからこそ、そういうことを実現できる会社にしたいというのが究極の目標だと言う。
追い風を見極めて
しかし、このコロナ禍で店は突然苦境に立たされた。
店だけでなく、今まで続けていたイベントへの出店や、野外フェスでの仕事もストップしてしまう。
「物事には向かい風と追い風があるんですよね。向かい風の時に一生懸命立ち向かってもダメで、そういうときこそ周りを見渡して、追い風になるように、力を入れなくても進むように、そのときに合わせたプランを探しています。コロナで自粛している今は店にとって完全に向かい風。でも、ただ待つだけでなく、この機会をプラスにして乗り切るのが僕たちのプランなんです。ガキくさい発想なんですけど、まだまだ世の中は風も強いし波も強いけど、それをプラスにできれば最高だし、そこが腕の見せ所かなと」
昨年の2月末、第1回の緊急事態宣言が発令される前に、いち早く、3ヶ月もの間、店を閉めることを決めた。
その間にみんなで知恵を出し合い、看板メニューであるジャークチキンやジャークポークを家で簡単に再現できる、ジャークシーズニングソースを商品化した。
「今までは全国から渋谷の店に足を運んでもらっていました。でもこんなに美味しいんだから、もっと幸せな環境でも食べてもらいたかった。みんなが各家庭で作って、最愛の家族や大好きな仲間たちと一緒にうちのジャークチキンの味を体験してもらえたら最高だなって」
これも時代が導いてくれたことなのかもしれない。
選んだのは流行りでもありすぐ実行できるケータリングではなく、家庭で店と同じ《できたての味》を再現できることだった。
これは今までの夢でもあったのだろうか?
「変なことを言うようですけど、自分の夢はほとんど叶ってるんです。好きなことを思いっきりやって、誰からも指図されず、自分を信じてくれる仲間と仕事ができている今の環境は、お金とか関係なく本当に楽しい。日々好きなことをやって、それが仕事につながって、本当に満ち足りています。このやり方でみんなでどこまでいけるのか、人生かけて証明してみたい。残ってる夢はそのくらいです」
まるで悟りを開いたかのような優しげな表情でそう語るKENTAの言葉に嘘偽りはないのだろう。
そして、この夢は、叶えた後に喪失感や虚無感に襲われるという類のものでは決してないのだ。
先ほど釣りの話が出てきたが、彼のインスタグラムには数多くの釣り写真が出てくる。
それもプレジャーボートに乗って沖に出る本格的なものばかりである。
「釣りは物心つくくらいからやってます。小学生の頃は近くの川で鮒とか鯉を釣って、親からもらった500円でエサ買ったり、みんなでブタメン食べたりして遊んでました。それからも釣りはずっと、ちょくちょくですが続けてたんです。でも大人になってあるとき、釣船を持ってる友達ができて、初めて乗らせてもらったら食らってしまいました。これは究極の趣味だなと」
そこからは船を買うことが目標になった。
ついに船を手に入れてからは釣り仲間もさらに増え、その仲間から仕事が広がることもあった。
そして、それこそが今や釣り業界で話題沸騰中の【IRIE FISHING CLUB】もそのひとつ。
自身もメンバーとして関わり、アウトドアフィッシングフェスにも携わっている。
「レストランも同じですが、趣味が仕事になったと言うよりも、趣味と仕事の境界線がないって感覚ですね」
元のキラキラした子どものような目に戻り、そして最後にこう語った。
「ハマり性なので趣味も仕事もどんどん究めたくなっちゃうんですよね。だって、究めた先にさらなる楽しさが待っているのかなと思うとワクワクしませんか?」
KENTA
Instagram:@good_wood_terrace_kenta
GOOD WOOD TERRACE
東京都渋谷区道玄坂2-19-3ライオンズマンション103
TEL:03-5728-7418
http://www.goodwoodterrace.net/
Instagram:@goodwoodterrace
Text & Photographs by Tomoyuki Omatsu(Still Tokyo/Btree)
Collaborative Activity & Coordinated by Hiromasa Ishikawa(Still Tokyo/GIGGLYROY)