水嶋ひかる 現代版ピンクのカリスマができるまで

水嶋ひかる 現代版ピンクのカリスマができるまで

ピンクの髪とピンクの服に丸めがね。

SHIBUYA109を代表するショップ店員として長らく活躍してきた“ひかぷぅ”こと水嶋ひかる。

トリッキーかつキュートなルックスを武器に、激辛好きとしてバラエティ番組にも数多くピックアップされたことがある彼女は、渋谷区観光大使ピンクアンバサダーも務めるなど、その活動範囲は幅広い。

このマルチプレイヤーっぷりは、はたして計算づくなのか、または天性の勘によるものなのか。

意外とどこにも書かれていない彼女の出自からじっくり聞いてみた。

 

水嶋ひかる 現代版ピンクのカリスマができるまで
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SNSとともに育った北海道時代

「生まれは東京なんですけど、幼い頃からずっと北海道で育ちました。18歳のとき、高校卒業してちょうど1週間後に上京してきました。それまではブロガーっていうんですかね、当時流行っていたCROOZブログを高1からやってました。ブロガーといっても買ったものとか使ってるカラコンとかをアップするだけで、たいしたこと書いてなかったんですけど」

CROOZブログといえば10年ほど前にギャルを中心に爆発的に流行っていた無料ブログサービスだ。

「最初は中学のときにペップス!でしたっけ、自分でホームページを作ることができるサイトにハマって、あとはみんなやってた前略プロフィールももちろんやりました! その頃は携帯を持っていなかったので深夜に親のパソコンを勝手に借りたりして」

SNSネイティブ世代のハシリと言える彼女にとっては、ブログに手を出すのは自然な流れだったのだろう。

「なぜかわからないんですけど、購読者が少しずつ増えていって、ブログを読んだ人からギャルサーにスカウトされたんです。それで全国規模のギャルサーの北海道支部っていうのに入って、それがきっかけで初めてスナップ撮影もしてもらったんです。東京に遊びに行ったときには宮下公園のスナップ会にも参加したりして、そのおかげで『egg』にも出させてもらいました!」

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『egg』といえば本物のギャルしか出ることができない、言わずと知れたギャル雑誌の中のギャル雑誌。

そう、ひかぷぅはギャルだったのだ。

「高校生のときはフツーにギャルでしたよ! 校則が厳しくて髪を染められなかったので金髪ウィッグ被ってスナップ行ったり(笑)。北海道に住んでいた当時からすれば『egg』に出られるなんて夢のようなことだったんです」

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当時のことを懐かしそうにニコニコと語ってくれたひかぷぅだが、そのときからタレント志望だったのだろうか?

「小学生のときにドラマの『アタックNo.1』と『エースをねらえ!』の影響で上戸彩ちゃんが大好きだったんです。だから、私も東京に行って女優になる!とか夢に見てて、『ちゃお』のオーディションのページをチェックしたりしてました」

とはいえ、ほとんどの人と同じように、夢はずっと夢のままで、まさか自分が芸能界に本当に関わるなんて当時は思ってもいなかった。

「だからこそブログを読んでくれるファンが増えてきたときはびっくりしました。でも自分で言うのもなんですが、当時の私のブログ、かなり面白いと思いますよ。ただ……、記事にかけてたパスワード忘れちゃって、もうほとんど読めないんです。クルーズの会社の人が見てたら何とかしてほしいんですけど……(笑)」

 

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ショップ店員に憧れた理由とは

ブログがきっかけとなってギャルサーに所属し、『egg』以外にも『ViVi』や『Nicky』などいくつかの雑誌のスナップにも登場した。

同時にこの頃からショップ店員になることに憧れを持っていたようだ。

「札幌に4プラっていうファッションビルがあるんですけど、そこのショップ店員さんがみんなキラキラしてて細くて可愛くって! 雑誌のモデルさんよりショップ店員さんに憧れてました。好きだったショップはMaria Luiza(マリア ルイーザ)、ANAP(アナップ)、GILFY(ギルフィー)とかCOCOLULU(ココルル)ですね。寿るいちゃんと鈴木奈々ちゃんの来店イベントとか、ゆんころちゃんのイベントにも行ってましたね~。気合い入れてベルト3本くらい重ねづけしたりして」

これらのショップ名やモデル名を見ると分かる人には分かるように、この頃のひかぷぅはドンズバのギャルである。

そして4プラのショップ店員に憧れているうちに、いつしか自分自身の夢もショップ店員になっていた。

そして高校卒業を前に、ついにSHIBUYA109の門を叩く。

「実は109にこだわっていたわけではないんです。センター街にあったANAPにも面接行きましたし、家庭学習期間になるべく東京に来て、できる限り多くの面接に行ったんですけど、結局受かったのは当時109にあったMILSQUR(ミルスクワー)っていうショップだけだったんです」

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ようやく上京し、憧れのショップ店員としてのキャリアをスタートしたひかぷぅだったが、働き始めたショップがなんと1年も経たずして閉店してしまう。

そして次に働くことになったのが109に出店することが決まっていた新ブランド、Swankiss(スワンキス)だった。

「まさかそこで7年も働くことになるとは思っていなかったですけどね(笑)。前のショップで一緒だった子が、ひかるのイメージに合いそうだからって勧めてくれて。それで面接受けたらめでたく採用してもらえたんです」

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Swankissといえば当時からかなりガーリーな雰囲気のブランドだった。

自分自身で振り返ってみても、この頃からようやくギャル度が薄まってきた気がするらしいのだが……。

「入りたての頃はプリンヘアで、スワンぽくないって注意されちゃって、それから赤っぽくしたり金髪にしたり、かなり試行錯誤してたんですよ。当時はピンクヘアの人って渋谷でもほとんど見なかったし、単純にピンク好きだったから、ピンクのエクステつけたりしたんです。そしたらだんだんとピンクの分量が多くなってきて、気がついたら真っピンクになってました。お店のスタッフの中でも、みほさんは青髪、ともさんはレインボー、あゆみさんはラベンダー、かなさんは金髪、りかこは黒髮、ひかるはピンクという感じで、みんなが好きな色を選んでたら“なんとかレンジャー”みたいになってました(笑)」

成り行きのように始めたピンクの髪色が、ここから7年以上にも渡って彼女のアイコンになり続けることになる。

そして、それと同時に人気ショップスタッフとしての地位も確立していった。

「CROOZブログはしばらく続けていました。ただ、その頃にはモバゲーとかmixiも通り過ぎてて、すでにツイッターがメインの発信ツールでしたね。あとはひとり暮らしの寂しさを紛らわすためにツイキャスを始めたら見事にハマっちゃって。朝も夜も出勤途中もずっと配信してたら、なぜかどんどんフォロワーが増えて、どんどんSNSが楽しくなってきたんです」

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Swankissに入って1年くらい経ったころには、ツイッターのフォロワーが109で最も多いショップ店員として業界で話題になっていた。

ショップが主催するイベントだけでなく、109自体のイベントやパンフレットにも登場することが増え、いつしか「109のカリスマショップ店員」や「激辛好きタレント」としてテレビなどにも出演するようになった。

ちなみに激辛好きは度を越していて、中本の北極だと7倍、赤からはなんと12倍が最も美味しく感じるらしい……。

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「本当に何があるか分からないって感じですよね。ただ楽しいことをやり続けていただけなんですけど気がついたらたくさんの方にフォローしてもらえていて……。でも父だけはピンクの髪も激辛についても気に入らないみたいで、『いい加減ピンク卒業しろ』とか「さんま御殿で激辛アピールやめろ!」っていうLINEがしょっちゅうきます(笑)。ひかる自身も落ち着いた方が男ウケいいのは分かってるんですけど、ピンクヘアで覚えてもらってるので変える勇気がないんですよね……」

「私ってけっこう一途なんですよ」。ひかぷぅは真顔でそう話す。

確かに、一途だからこそ、入れ替わりの早い109ショップ店員の中にあって7年間も同じショップで働き続けることができたのだろう。

「それは単純にスタッフが楽しかったからなんですけどね。あとは居場所を転々としたくないっていう気持ちもあって……。ひかるって一途な上に情が強いんです。めっちゃ強いんです! 自分からサヨナラを言うのも苦手ですし、基本、人のことを嫌いにならない性格なので、辞めるタイミングが見当たらなかったんですよね」

 

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7年働き続けたショップを辞めて

2020年6月6日、そんなひかぷぅが7年以上勤めてきたSwankissを辞めた。

いろんな人との新しい出会いも増え、2020年は自分の身を新しい環境に置いてみたかった。

「今は原宿のFR2梅というアパレルの路面店で店員をしながら、夜は渋谷のももまるという居酒屋でも働いています。同じアパレルでもFR2梅は男性のお客様も多いし、仕事のやり方も違うので戸惑うことは多いですね。路面店って雨が降ると髪の毛の巻きも取れやすいですし……細かいことも含めていろいろ対応してかなきゃって(笑)」

居酒屋で働くというのも意外な選択に思えるが、ももまるといえば全身ピンクに身を包んだ店主が話題となりメディア露出も多いお店なので、必然とも言える出会いなのかもしれない。

「今まで飲食店でちゃんと働いたことがなかったんです。でも、ある人に紹介していただいて、私にぴったりなお店だなって。ももまるで働いてると大人の方と話す機会も自然と増えて、さらに視野が広がってきました。ひかるもお酒大好きだから、お酒の注文いただくとついつい濃くしちゃうんですけど」

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この二足のわらじと並行して、モデルやタレント、インフルエンサーとしての仕事が舞い込むことも多い。

なぜこれほどまでにストイックに働き続けるのだろうか。

「もともと夜あんまり眠れないので、どうせ起きてるんだったら働いている方がいいかなって。スケジュール帳がずっと埋まっている状態が好きだから、今の生活がいちばん合ってるのかもしれないです」

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特に気負った様子もなく、淡々とそう語るひかぷぅ。

最後にこれからの願望を聞いてみた。

「タレントの仕事1本で食べていけるようになりたいと思っていた時期もありましたけど、いろんなことを同時にやれている今の方が楽しいなって考えが変わってきました。結婚願望もあまりないんですよね。ただ子孫は遺したいので、シングルマザーもいいなって思っていて……。ひかる、将来的には可愛いおばあちゃんになりたいんです。もはや子どもより孫が先に欲しいくらい(笑)。欲しいもの何でも買ってあげたりしてとことん可愛がりたい!」

プライベートの話になると急に突飛なことを言い出したひかぷぅ。

仕事に対しての真面目さの裏に、見た目同様のトリッキーな部分がたくさん隠されているのかもしれない。

丸めがねの奥にはまだまだ深い“ひかぷぅワールド”が広がっていそうだ。

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水嶋ひかる
1993年9月26日生まれ。渋谷区観光協会「観光フェロー」。バラエティー番組などでも活躍中。ひかぴんくと丸メガネがトレードマークの激辛好き女子。
Instagram:@hikapudayo
Twitter:@m_hikapu

 

Text & Photographs by Tomoyuki Omatsu(Still Tokyo/Btree)
Collaborative Activity by Hiromasa Ishikawa(Still Tokyo/GIGGLYROY)

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