インパクト抜群の赤髪に濃いめのメイク。
だが、ひとたびマイクを手にすれば、この派手な外見が霞んでしまうほど、彼女の歌声は力強く、そしてエモーショナルだ。
2010年にシンガーソングライターとして華々しくメジャーデビューしてから11年、紆余曲折を経て、この秋にはアーティスト名を本名のAlice Peralta(アリス ペラルタ)と改名。
今まさに小学生時代からの夢を叶えようとしている。
いきなり届いたビッグニュース
「オーストラリアのSMGっていうレーベルと契約したんです! 歌手を目指してからずっと海外で活躍することを夢見てきたので、世界デビューできるのが楽しみで楽しみで‼︎」
インタビュー前に突然伝えられたビッグニュースだった。
この契約を機に、2022年には現在制作中のアルバムを引っさげて世界ツアーも視野に入れているという。
もちろんここまでの道のりは順調なものではなかった。
メジャーデビューしたものの、数年で契約が終了し、Aliceは2013年以降はインディーズでひとりもがいてきたのだ。
今年31歳という年齢を迎える彼女が、ずっと夢を追い続けてこれたその原動力はいったいどこにあるのだろうか。
まずは歌手を目指したきっかけから探ってみよう。
「今でも鮮明に覚えているんですけど、小学2年生のときにテレビで観た『天使にラブ・ソングを2』っていう映画がきっかけです。マジで心を打たれすぎたんです。映画の中でローリン・ヒルの歌声がすごくって、歌そのものの素晴らしさにもやられて、『私、歌手になる!』って強く思いました!」
そして幼き少女だったAliceは母親におねだりをして、この映画のビデオを買ってもらうことに成功した。
「そこから高校生になるまで毎日欠かさず観てました。毎日ですよ! そのくらい大好きな映画で、私にとってのバイブルなんです」
もとから歌うのも踊るのも好きで、まわりの人たちにも「上手だね」などと褒められていたという。
物心ついた頃から音楽にはずっと慣れ親しんでいた。
「小さい頃にピアノを習わせてくれて、そのときに絶対音感があるって言っていただいたんです。今は“大体音感”くらいかもしれませんが(笑)。歌手になるって決めたときからは、とにかくたくさんの音楽を聴きまくったんです。ROCKもJAZZもJ-POPも。でも、どうしてもHIPHOPとかR&Bが自分の好みでしたね」
とてつもない行動力で
そして小学生ながら驚きの行動に出る。
なんと、自分が好きな声を作ろうと、独学で練習を始めたのだ。
「マライア・キャリーのシャーシャーした裏声を出したくって、毎日練習してました。あとはデスティニーズ・チャイルドも大好きで、ビヨンセのパワフルなパフォーマンスとか、地声の部分を頑張ってマネしてたんです。そんなことを小学生のときからずっとやってたので、まわりの子と話なんか合いもしないですよね……。でも誕生日パーティーとかでカラオケ行くことがあるとSPEEDとかモー娘。を歌ってましたけど(笑)」
そんなAliceも、中学生になってようやく、「歌手になる!」という夢を周囲にも明かし始めた。
しかし、地元である福島県のいわき市では、なかなかまわりの理解を得られないことも現実だった。
「ちょっといじめられたりしたこともあったんですけど、ぜんぜん悩んだりしなかったですね。絶対歌手になるんだっていう確固たる目標があったおかげで、細かいことは気にならなかった。何でもそうだと思うんですけど、毎日歌い続けていれば上手くなるんですよ。だんだんマライアっぽい裏声が出せるようになったり、ビヨンセっぽい歌い回しができたり、努力を続けることで、ちょっとずつ成功していくことが幸せで、その繰り返しが自分の自信になっていく。歌の練習をしているだけで幸せだったんです」
歌の練習を続けるのと同時に、中学生のときからオリジナル曲を、これまた独学で作り始めていた。
「最初は海外アーティストのインストに、自分でメロディとリリック入れたりしてました。2Pacとかウォーレン・Gとかのトラックでしたね。ウエッサイのメローな感じが好きだったんですよね。そうやって作曲の練習をして、だんだん自分でオリジナル曲を作るようになりました」
高校生になると、Aliceはさらに大胆な行動に出る。
「ひとりで地元のラジオ局に売り込みに行ったんです。制服のままデモテープ持って突撃して、『これ聞いてください』『気に入ったらラジオで流してください!』ってお願いして、名前と電話番号を置いてきました(笑)」
そして、このパワフルな行動力が、いきなり功を奏する。
「なんと次の日に連絡をいただけて、なんとAliceの曲を、しかもインタビュー込みで流してもらえることになったんです!」
後述するが、このラジオ局【FMいわき】には今もお世話になっているという。
最初の夢が叶って
そして高校を卒業するとともにいよいよ上京する。
「高校卒業前の、みんなが車の免許を取りに行ってるような時期に、Aliceは東京に物件を探しに行きました。Aliceは東京行くんだから免許なんかいらないわって(笑)」
東京に移り住みしばらくして、19歳になったときに早くも大きなチャンスが訪れた。
マクドナルドとソニーミュージックがコラボ開催した大規模な歌のコンテストに出場し、オリジナル曲「18ager」を歌い見事に優勝を果たしたのだ。
「花火がバチバチーって打ち上がったみたいに、夢が叶った感覚がありましたね。『夢って叶うんじゃね〜!!!!!』って感じですよ」
2010年には、SMEレコーズからデビューが決まる。
作詞作曲はすべて自分で担当した。
Aliceは、まさしくシンガーソングライターなのである。
ちなみに優勝したときの曲は18歳のときに、ひとり暮らしのボロアパートで書いた曲だという。
「でも、実は誰かに提供して欲しい気持ちもあったんです。誰か有名なプロデューサーさんに作ってもらって、それで売れるなら売れたかったですよ(笑)。きゃりーぱみゅぱみゅちゃんが出てきたときに、中田ヤスタカさんが作ってくれていいなーって羨ましかったし(笑)。でも曲作りはずっと続けてきたことですし、自分でもプライド持ってやっていたのも事実ですけど」
その後、シングル6枚、アルバム1枚をリリースしたが、2013年にはメジャー契約が終了する。
「だんだん露出が減ってきますし、こちとらとっくに勘づいてましたけどね……。最後の1年半くらいは曲を作っても作ってもなかなかリリースさせてもらえないっていう状況で、そんな中、急に『最後のミーティングです』ってマネージャーから連絡が来て。いきなり地面に叩きつけられたみたいに苦しかったですけど、全員に感謝の手紙を書いて行ったんです。でも、逆にAliceを売り切れなかったことを謝られたりして……。当時のスタッフのみなさんには今でも感謝の気持ちしかありません」
日々の勉強と持ち前の行動力と
ここから今に至るまでのインディーズでのストーリーが始まった。
「右も左も分からないド素人がシンデレラストーリーでいきなりメジャーデビューしちゃったし、Aliceは社会的なことを知らなすぎたんですよ。自分の今までの売り上げとか、全国のどこで人気があったのか、何のCDがいちばん売れたのかとか、そういうことをまったく知らなかったので、改めて過去のデータを集めてリサーチしました。あとはいろんなパーティーに顔を出して、いろんなジャンルの人と交流したり、インディーズのアーティストさんにも、どうやって運営してるのかとか、いっぱい話を聞いたりして、まさにずっと勉強の日々でした」
そしてまたここで高校生のときと変わらない、とてつない行動力が発揮される。
「私、グアム出身のアメリカ人の父と、福島出身の日本人の母の間に生まれたハーフなんです。だからAliceにしかできないことをやろうと思って、『グアムに行ってライブをしよう!』って思いついたんです。だからすぐ、ひとりでグアムまで行って、『ライブさせてください』っていろんなところにお願いして回りました。そしたらなんと、『今年の夏にフェスをやる予定だからオープニングで歌ってよ』って誘ってくれた方がいて、しかもひとりで90分のステージを2日間もいただいたんです!」
行動しないと何も起きないことは誰もが分かっている。
ただ、ここまで行動を起こせる人間は、あまりいないことも事実だ。
「グアムのフェス出場が決まったあとは、高校生のときにお世話になったFMいわきにも行って、インディーズで頑張ってる状況を説明させてもらったら、そこでも『じゃ番組持とう』って言ってくれたんです」
こうしてスタートした「Aliceのがちラジ!エンタFor ever Young!!」という番組は、すでに5年以上続いている。
このハンパない行動力の元となるモチベーションは、いったいどこから来るのだろう。
「それはやっぱり『歌いたい』ってことだけですよね。今日食べるものがなくても音楽を作りたい、レコーディングしたいって、インディーズになってからもずっと思ってました」
そして、一瞬ためらうような間があったのちに、こう続けた。
「実はAliceが小さいとき、ダディは離婚しちゃっていなかったり、兄もやんちゃだったりしてて……。それでもママは女手ひとつで不自由ない生活をさせてくれたんですけど、一度、ママが声を殺して泣いてるのを見ちゃったんですよね。だから今はAliceが歌うことでママを楽しませてあげたいなって。ママは新しい曲を聴かせるたびにすごい喜んでくれるし、ずっといちばんのファンなんです」
このタイミングでよかった
だからこそ楽曲作りの際、Aliceには大事にしているテーマがある。
それが「LOVE」と「HAPPY」だ。
「人生、壁にぶつかることもあるだろうし、死にたくなることもあるかもしれない。でも、生まれたからには楽しんだほうがよくない?って思うんです。私が作るのってポジティブな曲ばっかりなんですよ。ファンの方から『前向きになれて病気を治せた』とか『頑張れたおかげで受験に合格した』とか言ってもらえると嬉しくてしょうがない。やっぱり音楽っていいなって実感できますよね!」
そして2021年、冒頭でお知らせした通り、オーストラリアの会社との契約が決まる。
「小2で歌手になりたいって思ったころから『ビヨンセになる!』って思ってたので、海外でアーティスト活動できるのは本当に嬉しい。実はデビューのきっかけになったコンテストは、これで最後だと思って受けていて、ダメだったらアメリカに行こうって決めてたんです。でも、そのときじゃなくて、このタイミングでよかったなと今なら思えます。いろんなことを経てメンタルも成長したし、何があってもへこたれないと確信できる自分がいるから」
夢を叶えるには時間がかかる
実はAliceのSNSのフォロワーは、メジャーレーベルに在籍していた時代よりも、ここ数年で大幅に増えている。
そのターニングポイントになったのは、Nintendo Switchのソフト「スプラトゥーン2」に登場する、テンタクルズのイイダの声優を務めたことなのは間違いない。
「オーディションがあったんですけど、ゲームの名前を知らされてなかったのでびっくりでしたよ。めっちゃ人気のゲームですし、反響は本当に大きかったですね。一気に海外のファンも増えましたし、この仕事のおかげで海外のレーベルから注目してもらえるようになったんだと思います」
小学2年生でビヨンセを目指した少女は、20年以上の歳月を経て、海外で活躍するという夢を掴もうとしている。
インタビューも終盤に差し掛かったころ、Aliceからまさに経験をもとにした、名言ともいうべきパンチラインがどんどん飛び出した。
「やり続けていると何があるかわからない」
「結果が出ないのを恐れていたらなにもできない」
「夢を持っているなら結果を恐れてはいけない」
そして最後に少しだけ語気を強め、こうメッセージを重ねてくれた。
「Aliceは歌手になるっていう夢を叶えるのに何年もかかったし、海外で活動できるようになったのもデビューしてから10年以上かかった。だから、いま夢を追い続けてたいへんな思いをしている人も、Aliceより早く夢を叶えられたらラッキーだと思ってほしい。夢を叶えるのには時間がかかるし、悪いことばかりはずっと続かないから!」
Alice Peralta
2021年秋にオーストラリアのスターミュージックグループ(SMG)との契約を果たし、世界デビューが待たれるシンガーソングライター。シングル「Too Late For Love」のスタジオピンプリミックスが2021年12月中旬に発売予定。そして待望の世界デビューシングルのタイトルは「Here I am」に決定! アルバムも2022年にリリース予定とのこと。
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Text & Photographs by Tomoyuki Omatsu(Still Tokyo/Btree)
Collaborative Activity & Coordinated by Hiromasa Ishikawa(Still Tokyo/GIGGLYROY)